特集記事抜粋
 

VOL.3 −川風−(平成11年7月)
■ 特集−川風−
・SummerWind'99−水面で川風を受けて−
・手作りカヌーを浮かべてのんびり水と戯れる
■ 吉野川と遊ぶ1
・ 紙パック筏・手作りトラップ
この人と吉野川3
・ 舟大工/原 久夫
阿波尾鶏
■ アドプト・プログラムでみなさんも吉野川の里親に
■ 総会報告
■ 写真展
■ 吉野川新交流プランの取り組み
■ ※特別付録
・ 吉野川夏休みハンドブック
この人と吉野川
原 久夫さん
川ごとに舟大工がおる。わしは吉野川の舟大工。
江戸時代からの伝統技術を受け継ぐ七代目舟大工の原久夫さんは、三好郡三野町太刀野の仕事場でカンドリ舟造りに精を出しています。

カンドリ舟(楫取舟)は、幅1.4m、長さ6.3mのアユ漁専用の舟です。底板にはツガ、側板にはスギ、へさきにはヒノキを用います。舟体が薄いので浅瀬でも入っていけ、また、舟の後部分が大きく反り上がっているのが特徴。これは、地形の変化が激しい吉野川を上り下りするために、歴代の舟大工が改良を重ねて作り上げていったものです。つまり、吉野川が現在の舟の形を作ったとも言えます。

「川ごとに舟大工がおる。わしは吉野川の舟大工」吉野川を見渡す仕事場で、原久夫さん(72歳)は手作業で舟を造り続けています。合わせた板の間にのこぎりをかけ、木のケバ立ちですき間を埋める「擦り合わせ」という技法や、側板を焼いて曲げていく加減・・・・「師匠に教えてもろた通 り」の手間をかけなければ舟は出来ない。それが舟大工の技術というものだと語ります。

原さんの祖父、つまり五代目は徳島市で舟大工をしていました。三野町に仕事場を構えたのは六代目。「鉄道ができて仕事がのうなったけん、空むいて上ってきた」かつては吉野川を平田船や渡し船が往来し、交通 の主流でした。鉄道が通り、自動車が普及するにつれて、舟造りも衰退していきました。「昭和30年頃までは年に30隻ぐらい注文があった。今は二、三隻。職業としては成り立たんわな」現在、舟大工は原さんと、同町にもう一人を残すのみです。

「川があるけん、舟がある。吉野川は生活のひとつの糧やな。川によって生きてきた・・・」この道50余年、移り行く吉野川と舟造りを通 してかかわり続けてきた原さんの言葉には、重みがあります。

今年も原さんの丹精こめたカンドリ舟が吉野川に浮かびます。「舟が出来たら田植えして、アユとりに行って遊ぶ」吉野川を見やってにこっと笑いました。
阿波尾鶏
■豊かな風土が育んだ阿波の味
徳島で昔から飼われていた赤笹系大型地鶏を、徳島県畜産試験場が10年かけて改良し、その地鶏の雄とホワイトロック(優良肉用鶏)の雌を交配させたものが「阿波尾鶏」です。ピント伸びた特徴的な尾羽から、また徳島の阿波踊りにちなんで命名。平成2年から販売され、味はもちろん、他の地鶏に比べて安価なこともあって、特に関東方面 で大人気。発売当初から順調にシェアを伸ばし、昨年度はついに名古屋コーチンを抜いて全国一の地鶏になりました。

阿波尾鶏は、徳島の豊かな自然の中で、一般 のブロイラーのほぼ2倍の100日間をかけて、のびのびと育てられています。充分運動しているので、身がしまって歯ごたえ抜群。しかも脂肪分が少なくヘルシーです。肉色はやや赤みを帯びて美しく、うまみ成分を豊富に含み、甘みとコクがあります。

阿波尾鶏は軍鶏の血を引くだけに喧嘩早く、エサもよく食べるので飼育もたいへんなんですよ」と、貞光食糧工業(有)の田岡盛営業部長さん。阿波尾鶏の生産・加工を手掛ける同社では、厳選した農家125件と契約して、手間暇かけて大切に育ててもらっています。
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