特集記事抜粋
 

VOL.4 −源流物−(平成11年11月発行)
■ 特集−漂流物−
吉野川の河川敷は漂流物の広大なミュージアム
思いもよらぬ漂流物
・漂流物アート(写真家/米津 光)
■ 阿波藍を辿る
■ この人と吉野川4
( 大歩危水位観測所観測員/岩木貞夫)
吉野川と遊ぶ2(流木アート)
■ アドプト・プログラム吉野川
吉野川の河川敷は  漂流物の広大なミュージアム
−The Yoshino River Museum of the Drift −
今年の夏は、例年になくたくさんの台風に見舞われた。  
台風の翌日の吉野川の河原は出物がいっぱいだ。  
流木、ガラス瓶、ビニール片、冷蔵庫、長靴、ボール、電気部品、スポンジ、家具のなれの 果て・・・  ゴミと言ってしまえばそれまでだが、今回はそれを、漂流物として楽しんでしまおう。  
流されてくる旅の間に、削り削られ、いろんなものが剥がれ落ちて、流木は味わいを増す。ゴミのはずだったものが、岸に打ち上げられて波にさらされるうちに、いつのまにかアートになっていたりする。
それにしても、水のエネルギーには驚嘆するばかりだ。根こそぎえぐられて流されてきた大木、どこからか剥ぎ取られたらしいコンクリート片、岩石や電信柱・・・。
決壊前の堤防がぐにゃぐにゃと揺れていたという話を何かで読んだことがある。その時は眉唾ものだと思ったが、こんな光景を目にすると、信じざるを得ない。
水のエネルギーは突発的で、また、とても静かで力強いものだ。日々、上流から土砂を運び、ゆるやかに地形を変えていく。  
すべてを呑み込んで、今日も吉野川は滔々と流れる。
思いもよらぬ 漂流物
吉野川の氾濫で流され たものの中には、 思いもよらぬ大きな ものがあります。 今回はその中から 神社が流された話を 紹介します。

吉野川流域には、洪水で流されたり、移された寺社が数多くあります。そのひとつ、板野郡藍住町東安永の「荒(こう)神社」を、文化財保護審議会会長の三好昭一郎先生に案内していただきました。

現在、荒神社がある場所には、もともと氏神さんがありました。その氏神さんが洪水で流され、その時の鳥居がすぐ前の河川敷に埋まっていると言われています。その後、当時の吉野川本流と別宮川をつなぐ、「新川掘り抜き工事」の水路氾濫により、西安永地区にあった荒神社もながされてしまいました。 土地の人たちは、流された石やほこらを拾い集めて、氏神さんの跡地に荒神社を手厚くお祀りしました。 毎年のように洪水被害にみまわれていた当時、こういったことはよくあったようで、荒神社の境内には、様々な年代の地神さんや供養塔、金比羅さんまでが合祀されています。

ちなみにこのあたりの地名は、東から慶長、貞享、安永と並んでいます。これは土地が開拓された年号をそのまま付けたもので、水路に流された土砂が下流につもり、土地が増え、東(下流)から順番に開けていったことが分かります。

洪水によって移された神社、流れた土砂で形成された土地。これもまた、巨大な漂流物と言えます。
吉野川と遊ぶ
■流木でかんたんアート   吉野川は素材の宝庫だ!
徳島市北田宮でクリーニング店を営む松田計一さんは、流木アートの名人です。店の前には、ヘビのファミリー、真っ赤なイノシシ、キリンなど、松田さんの作品がずらりと並んでいます。

作り方は簡単。  
まずは素材を探しに行きます。
河原に出かけて、好きな形の流木や石を見つけてください。
流木はカラカラに乾燥したものを。
1週間ほど干してから使います。
素材が見つかったら、自然の形をそのままに、自由にペンキで色を塗ります。顔を描いたり、模様をつけたり。にじまないように何回かに分けて色を塗り、乾いたら完成です。

「子どもたちに作る楽しさを知ってもらいたい。山や河原で遊んで、自然に親しんでほしい」と話す松田さん。
今年の夏休みには、近所の子ども達もいっしょに、吉野川や鮎喰川の河原で流木アートを楽しみました。



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