特集記事抜粋
 

Vol.23 −特集「藍染め」− (2006年 夏号)
・特集「藍染め」 
・Sketch of Yoshino River「黒沢湿原」
・この人と吉野川「NPO法人 江川エコフレンド 岸田益雄さん」
・イベント・レジャー情報 ほか
特集「藍染め」
吉野川の氾濫がもたらす肥沃な土が育んだ阿波藍は藩主・蜂須賀公の保護奨励によって藩政〜明治時代に隆盛を極めました。藍商人によって全国へと出荷された阿波藍が日本全国を染め上げたと言っても過言ではありません。
ところが明治30年代に、廉価なインド藍や化学染料が輸入されるようになり、明治36年(1903)を頂点に急速に衰退の道をたどっていきました。化学染料や化学繊維を使った工場生産が主流となり、昔ながらの天然藍染めは私達の日常からは遠いものになっていましたが、近年の自然志向などで、その価値や魅力が見直されてきています。
天然藍を使った藍建て、藍染めの伝統的技法を受け継ぐ古庄染工場、 六代目紺屋 古庄紀治さんを訪ねました。

●藍を建てる
 阿波の藍染めは、タデ科の植物である藍の葉を発酵・乾燥させた「すくも」を使って行います。すくもはそのままでは水に溶けませんが、アルカリ性の液の中では水溶性となり、布を染めることができるようになります。紺屋の仕事は、すくもを藍瓶の中で発酵させて、染めができる状態にすることから始まります。これを「藍建て」といいます。
 沼津のクヌギの灰から抽出した灰汁に、すくも、アルカリ性を強めるための石灰などを加えて瓶の中で撹拌すると、30分ぐらいで独特のアンモニア臭がたちのぼってきます。発酵の調子を見ながら朝夕かきまぜていると、2〜3日で仕上がります。使うのは自然の材料のみ。化学薬品は一切用いず、灰汁まで自分で作ります。これが古庄さんがこだわる天然灰汁発酵建てという方法です。

●水を求めて
 古庄染工場は徳島市佐古七番町、田宮川のほとりにあります。戦前まで県庁付近に工場を構えていましたが、「水に塩が入り始めたので」、いい水を求めて現在の場所に引っ越してきました。
 天然藍にとって塩は大敵。「化学染料だと気にせんでいいんやけど、天然藍は菌が死んでしまって、藍が建たなくなる」からです。薬品が入った水道水ももちろん使えません。古庄染工場では、地下を流れる鮎喰川の伏流水を汲み上げて使っています。
 藍はアルカリ性の染料です。藍に布を浸し、それを空気にさらすことで酸化させて色を定着させます。瓶から上げたばかりの布は茶色がかった濁った色をしていますが、空気にふれて、見る間に色が変化していきます。これを何度も繰り返し、最後に灰汁や渋などの不純物を水で洗い落とすと、目も覚めるような鮮やかな藍色が現れます。

●失われた絹染めの復活
 実は、古庄さんはすんなりとこの世界に入ったわけではありません。ウエイトリフティングの選手として日体大へ進学、腰を傷めて今度は音楽業界へ。そこで知り合った友人の影響で、長い伝統を持つ藍染めの価値を再認識し、家業へ戻ってきたという異色の経歴の持ち主です。
 伝統を継ぐだけでなく、何か独自のものを・・・。ヒントを求めて全国に残る藍染めの着物や資料などを見てまわるうち、京都宇治で、蜂須賀公の藍染めの熨斗目(武家の礼服)に出会いました。
 藍染めといえば木綿か麻。当時、業界では「絹は藍に染まらない」というのが定説でした。ところが、その着物は絹。天然藍が衰退する過程で失われた技術だったのです。興味を覚えて絹染めにとりかかりましたが、やはり染まらない。藍の種類が違うのか? いや、蜂須賀公の着物に阿波藍以外のものを使うわけがない  試行錯誤の末、昔の藍建てを忠実に再現し、昭和49年、ついに阿波藍で絹を染めることに成功しました。
 異色の経歴が、常識にとらわれない柔軟さを生んだのかもしれません。失われた絹染めの復活は、業界にとっても大きな一歩でした。

●注染(ちゅうせん)
 絞り、型染め、ろうけつ染め、筒描きなど、藍染めにはさまざまな技法があります。浴衣や手ぬぐい、風呂敷などの多くは「注染」という技法で染められます。「天然藍を使って注染をしているのは、全国でここだけ」と聞いて、作業を見学させてもらいました。
 注染は江戸末期に生まれた技法で、糊で防染した布に染料を注ぎ込んで模様を染める型染めの一種です。反物のような長い布に、型紙を使って糊で模様をつけ、その糊が乾かないうちに、模様がずれないように注意しながら布を折り重ねます。こうすることで、布の両面にまったく同じ模様がつくわけです。
 糊付けが終わったら、折り重ねた生地に藍をたっぷりと注いで染めていきます。生地をひっくり返し、表裏両面から染めます。壺人(つぼんど・つぼんだ)という装置で布に空気を通しては藍を注ぐ  これを1時間ほども繰り返して、求める色に染め上げます。糊を洗い落とせば、表も裏もくっきりとみやびな模様に染まった反物の完成です。
 古庄さんは注文生産が主なので、作品はほとんど手元に残りません。藍瓶の管理があるので、自分の作品展へ足を運ぶこともないとか。でも、街でふと、あるいはテレビを見ていて、女優さんが着ている着物や洋服で、作品に出会うことがあるとか。
「あ、あれ、わしが染めたやつじゃ」・・・やはりうれしいものです。

●百年後を夢見て
 何百年も昔から、人々は藍に包まれて暮らしていました。藍で染めた布は強度が増し、防虫、抗菌、消臭などの効果もあったため、日常の生活に欠かせないものだったのです。
 「阿波藍の資料なら日本一」と古庄さんに聞いて、板野郡松茂町の三木文庫を訪ねました。藍商人として全国に名を轟かせた三木家の、歴代の記録や阿波藍に関する膨大な資料を収めた資料館です。
 フロアの中央に飾られた豪奢な筒引蒲団に目を奪われました。百年を経てなおこの美しさ、藍の冴えた色合いはどうだろう  。
 三木文庫に収蔵された筒引蒲団の一枚の、ある部分の色が、古庄さんが目指す色なのだそうです。
「百年後にこの色になるように…」
見つめる先の遥けさに、しばし言葉を失ってしまいました。

古庄染工場INFORMATION
住所/徳島市佐古7番町9-12
電話/088-622-3028
営業/見学・体験は9時〜13時30分
休み/日曜、祝日
料金/入場料200円、藍染め体験1000円
※見学・体験は前日までに予約が必要。午前の早い時間帯の方が、きれいに染まるので、おすすめです
この人と吉野川 その16 NPO法人 江川エコフレンド理事長 岸田 益雄さん
鴨島を潤す江川を守りたい。活動は大きな流れとなって

 花や緑が水辺を飾り、四季折々に美しいたたずまいを見せる江川湧水源。さすが日本の名水百選のひとつです。ところが、ほんの数年前、2000年には今の美しい景観など想像できない状況でした。川底にたまったゴミやヘドロが湧水をふさぎ、周囲は竹や草が生い茂っていました。
 江川の側で生まれ育った岸田益雄さん(50歳)はそんな現状を知り、友人に声をかけ、行政の協力も得て、湧水源の整備に乗り出しました。そして、継続的な環境美化に取り組んでいこうと、2000年8月、江川エコフレンドを発足させたのです。毎月1日の清掃活動を柱に、水質検査、河岸の花植え、小学校と連携して環境教育などの活動を行っています。
 約20人でスタートした会に大きな変化が起こったのは2004年のこと。鴨島第一中学校生徒会から「ボランティアをしたいけれど何をどうすればいいのかわからない」と相談を受けた岸田さんが会の活動を紹介。数人が来ればいいとこかな?という予想を裏切り、26人もの生徒が参加してくれました。参加者は増え続けており、会員も合わせると100人を超える大清掃になることもあります。「ゴミ拾いをした子はゴミを捨てられない」と岸田さん。生徒達の参加は、ゴミ拾いだけに終わらない大きな意味を持っています。
 取材にうかがった7月1日は早朝からあいにくの雨。にもかかわらず、集まってくる人、人、人。生徒達は用具を手に河岸へと散らばり、やがて袋いっぱいのゴミを集めて帰ってきます。ゴミの分別も手慣れたものです。生徒達一人ひとりと挨拶をかわし、受付をする岸田さん。目下の悩みは、「ようけ来てくれるけん、受付や世話に忙しくて自分が掃除できん(笑)」ことだとか。
 このほど、環境省の2006年度水・土壌環境保全活動功労者表彰に徳島県から唯一選ばれました。表彰状を仲間や生徒達に披露し、ハレの(雨だけど)記念撮影をさせてもらいました。
YOSHINOGAWA NEWS
●今年も大盛況でした!さかな博士の川魚かんさつ会

 本誌の人気連載『さかな博士の吉野川魚図鑑』でおなじみの佐藤陽一先生を講師に、7月16日、川魚観察会を開催しました。佐藤先生から川遊びの注意や、魚のつかまえ方のコツを教わり、親子35名が網を手に鮎喰川へ。20分も過ぎると、あちこちで歓声が上がり始めました。
 約1時間の実習の後、つかまえた魚を持ち寄って、佐藤先生に魚の名前や特徴を解説してもらいました。この日、観察できた魚はオイカワ、オオヨシノボリ、ヌマチチブ、シマドジョウ、アカザなど10種類。カワニナやトビゲラなどの水生生物もたくさん観察することができました。
 観察会の後も、飽き足らず網を持って川へ入る子ども達がいました。川遊びの魅力、生きものとふれあう楽しさを体感してくれたかなと、うれしく感じました。

●筑後川訪問記

 日本三大河川に並び称される兄弟川として、「筑紫次郎 筑後川」と「四国三郎 吉野川」の交流を深めていこうという、壮大な試みが動き出しました。
 3月に「NPO法人筑後川流域連携倶楽部」のメンバーが吉野川を訪問。これを受けて、今度は吉野川交流推進会議の有志約30人が筑後川を訪問することに。5月20日・21日、筑後川河口の福岡県大川市で開かれた「筑後川フェスティバル」に参加し、写真展や交流座談会を通じ、吉野川の魅力や、流域で活動する団体の取り組みを紹介してきました。また、「船で行く筑後川下流〜有明海探鳥会」にも参加。日本野鳥の会筑紫支部の方のガイドで、ムツゴロウが群れる干潟、広大なアシ原など、吉野川とはまた違う大河の風景を満喫しました。
 交流の第一歩は、お互いの川を知るところから。7月29日・30日には、筑後川のメンバーを「吉野川フェスティバル」にお迎えします。私達の吉野川を、筑後川のメンバーはどんなふうに感じるのでしょう。楽しみです。
次号へ次号へ 前号へ前号へ
Copyright (c) 2002 吉野川交流推進会議 All Right Reserved