特集記事抜粋
 

VOL.7 特集−竹−(平成12年11月発行)
■ 特集−竹−
美しき緑の堤防 吉野川の竹林
・Modern&Classic Bamboo work

■ 吉野川交流推進会議ってどんな団体?
・活動の軌跡
■ YOSHINOGAWA NEWS
・ 行ってきたよ!!上流へ

この人と吉野川7
(ときめきダンスカンパニー四国/田村 典子)
■ Sketch of Yochino River vol.1 山城町
美しき緑の堤防 吉野川の竹林
吉野川にまるで万里の長城のように連なる緑の竹林。
朝日を受けて輝き、昼は川風に葉をそよがせ、夕映えに真っ赤に燃える。
「四国三郎」と称される吉野川にふさわしい、雄大で繊細な風景だ。

吉野川沿川部の、特に中上流域あたりでは、川岸に連なる見事な竹林を見ることができます。これらは水害防備竹林と呼ばれるもので、かつて洪水対策として植えられたものです。昔はこのような竹林が、延々と両岸に連なっていました。今でも、吉野川には全国でも最大規模の水防竹林が残っています。

吉野川沿いの水防竹林のほとんどは、藩政時代に植えられたものです。吉野川の洪水を制御できる規模の堤防を財政的な理由などで作ることができなかった時代、藩は川沿いに竹を植えることで、洪水の被害をなんとか軽減しようとしたのです。

竹は地下茎がからみあって繁茂するため、地盤を強くし、水による侵食や地崩れなどから川岸を守る働きがあります。さらに、密に生えた竹が洪水の水勢を削ぎ、畑や耕地に岩が入ったり、逆に家屋が流失することを防ぎます。昔は、洪水の後の竹林に家財道具が引っ掛かっている、というのもよくある光景だったそうです。

また、水防竹林が生み出す豊富な竹材は、物干し竿、釣竿などの生活用品をはじめ、和傘やうちわ、竹尺(ものさし)などに使われ、地場産業の発達をもたらしました。現在は竹材の需要が減少し、放置されている竹林が多くなりましたが、かつて沿川住民たちは、洪水の被害を緩和し、かつ竹材を販売して利益を上げる竹林を、大切に整備して守ってきました。

下流では連続堤が築かれるにしたがって、多くの竹林が伐採されてしまいましたが、中上流域には今もなお見事な竹林が残っています。

青々とした竹林が連なる雄大な風景は、今では吉野川を彩る風物詩となっています。そしてこの風景は、かつて沿川住民たちが知恵を絞り、洪水と戦った跡でもあるのです。
この人と吉野川
■ときめきダンスカンパニー四国 代表田村 典子 さん  

「いつも、そこに吉野川があった」  
「ときめきダンスカンパニー四国」の母体である四国大学は、吉野川橋のたもとにあります。朝な夕な、吉野川を見て通勤するうち、「無意識のうちに吉野川が自分たちの中にあった」と田村さん。そんな中、大きな転機となったのが、九三年に吉野川の源流を訪ねたことでした。木をナタで切り開きながら進んで、やっとたどりついた、その時の感動!この体験が以後の活動の原動力となりました。その年の公演「吉野川賛歌」を皮切りに、ダンスはもとより絵本やビデオ制作など、何度も吉野川をテーマにとりあげ、今年は第二回日本水大賞審査部会特別賞を受賞。「日本水大賞は励みになりました。今までは環境が文化を作ってきた。これからは文化が環境をリードする時代」と田村さん。何度も吉野川について考え、踊ったメンバーだから、アドプトへの参加もごく自然なことでした。みんなで掃除をして、きれいになった土手で鍋を囲んだり、川に向かって歌ったり……なにより気持ちいいから、楽しいから集まるのです。
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