特集記事抜粋
 

VOL.5 −川湊−(平成12年3月発行)
■ 特集−川湊−
吉野川川湊紀行
・岩津〜吉野川交通の要所〜

この人と吉野川5
( 阿波手漉和紙/藤森 実)

吉野川交流推進会議の取り組み
・れいほく子ども探検隊
・写真展「吉野川今昔」
・アドプト団体50を突破!
・ビオトープってなんだろう?

■ YOSHINOGAWA NEWS
・ 橋のエキスパートが綴る「阿波の橋めぐり」
美濃田の淵に吉野川ハイウェイオアシスがオープン
・見て 読んで 感じて・・・・・吉野川
吉野川川湊紀行
「春の東風が吹く時分になると、吉野川に白い帆をたてて舟がようけ行っきょった」−そう話してくれた人の目は、懐かしさに満ちていました。悠々と水をたたえた吉野川をゆく帆掛け船、人々でにぎわう川湊・・・・・。今は古い写 真や資料でしか見ることが出来ない風景を確かめてみたくなり、吉野川に残る川湊の跡を訪ねてみました。藩政〜明治時代は、吉野川が物流の主役として最も輝いていた時代です。当時は自動車も鉄道もなく、舟こそが唯一の大量 運送の手段で、最盛期には1000を超える川舟が行き来していたと言われています。1艘の積載量 は600貫(2.25t)〜1000貫(3.75t)というから、その機動力たるや、他の輸送手段(馬や人)とは比べものにならなかったのです。

流通の拠点となったのは、流域各地の船着き場「川湊」でした。当時の主な川湊は池田、辻、半田、貞光、脇町、岩津、川島、第十。中でも池田、岩津、川島は良港として栄え、周辺には宿屋、酒屋、料理店などが立ち並び、船乗り、筏乗り、行商人、旅客でにぎわいました。各湊には勘定場が置かれ、船頭に手当を払ったり、商品の取引や管理、受け取りや精算なども行っていました。舟が集まるところには、物が集まり、人が集まり、銭が集まる。どんなにか活気に満ちた、心躍る風景だったことでしょうか。 徳島、撫養など下流からの荷は、米や麦などの穀物をはじめ、肥料、味噌、醤油、塩、海産物、手工芸品、雑貨、生活用品・・・・・。日々の生活に欠かせないものが川を上ってやって来ました。一方、上流からは藍玉 、薪、木炭、たばこ、木材、繭、和紙などの特産物を乗せて舟が下ってきました。当時の資料を見ると、松ヤニ、木皮、動物の毛皮(鹿、てん、狸、猪、かわうそ、熊)、わさび、岩茸、こんにゃく玉 など、実に様々な物資が吉野川を行き交っていたことがわかります。輸送に使われた舟は、帆を張った平田舟が主役で、浅瀬でも航行出来るように竜骨をとりのぞき、喫水を浅くした吉野川専用の舟でした。航行は風まかせ。二人の船頭が風を読み、水の流れを読みながら行き来したのです。

大正3年、鉄道が池田まで開通し、川舟は主役の座をとって代わられることになります。大正末期にはほとんど用いられなくなり、それにつれて、川湊も次第にすたれていきました。今はわずかに、船どまりの跡や、灯台の役目をした灯籠、川沿いに立ち並ぶ蔵や石垣、航行の安全を祈願した祠などに、当時の盛栄のおもかげを見ることが出来ます。
この人と吉野川5
■阿波手漉和紙 現代の名工藤森 実 さん  

「昔は川に沿って紙漉きの里がたくさんあった」  
ここの和紙は、川田川から生まれたもの。昔はここだけでなく、穴吹川、貞光川、半田川、それから鮎喰川・・・・・どこでも川に沿って紙漉きの里があったんです」−穏やかな口調は、和紙のやさしい手触り、肌合いとイメージが重なります。

藤森実さんは山川町で代々紙漉きを行っている藤森家の七代目当主。
1945年8月15日の終戦と同時に稼業を継ぎ、半世紀以上に渡って和紙を漉き続けてきました。阿波手漉き和紙は、約1300年前、祭りを司る忌部族が現在の山川町の地に入り、麻や楮(こうぞ)を植えて紙や布を製造したのが始まりと伝えられています。和紙づくりに欠かせない美しい水、高越山の大自然という地理的条件に恵まれ、川田川流域に紙漉きが根付き、広がっていきました。明治の最盛期には、冒頭の言葉通 り、あちこちに紙漉きの里が栄え、吉野川流域500戸、川田川流域に200戸もの紙漉き家があったそうです。藤森さんによると、土地により、また同じ土地でも職人によって漉き方が微妙に違うとか。「手ですることやけん、細かいところが違うてくる。皆、自分が日本一と思ってやりよるけんな」と藤森さん。それもまた”手漉き”ならではの味わいです。  

もともと和紙は障子紙や唐傘などに使われる、いわば生活必需品でした。ところが、戦後急速に進んだ欧米化の中、大量 生産に向かない和紙は、その座を洋紙に奪われていきました。同業者が次々に廃業していく中、藤森さんは和紙の新しい可能性を追求することで道を切り開いてきました。和紙を藍や草木の染料で染めたり、木版画用紙、日本画用紙などに印刷を用いることが出来る和紙を開発したり・・・・・。こうした新しい息吹が、阿波手漉き和紙を美術工芸品として再認識させ、国内外、特に外国での高い評価へとつながったのです。
「常に、よそがやりよらんものを創っていかなければ」−そう語る藤森さんから熱い脈動が伝わってきました。

 
■INFORMATION

阿波和紙伝統産業会館 阿波手漉和紙の世界に触れる

阿波手漉き和紙について知り、体験できるのが「阿波和紙伝統産業会館」。紙漉き場を再現した研修室では、原料の処理、紙漉き、乾燥、仕上げまでの製造工程を見学でき、紙漉きや藍染めの体験学習もできます。ギャラリー、ショップ、多目的ホールなどもあり、アーティストの作品展、ワークショップなども随時行っています。

(財)阿波和紙伝統産業会館
麻植郡山川町字川東141   
電話/0883-42-6120       
開館時間/午前9時〜午後5時       
休館日/月曜日(月曜日が祝祭日の場合は火曜日)  
入館料/一般 300円、学生200円、小中学生150円  
*H12.2現在
美濃田の淵に吉野川ハイウェイオアシスがオープン
景勝地として有名な三好郡三好町足代の「美濃田の淵」に、待望の大型観光施設が誕生。徳島自動車道全線開通 にともない、サービスエリアと隣接した「吉野川ハイウェイオアシス」が平成12年3月10日(金)にオープンします。

メイン施設である「吉野川ふれあい館」には、吉野川を眺望できる露天風呂、地元の食材を使ったレストランなどがあり、周辺はアユが泳ぐ小川や、メダカを放流したせせらぎなど、吉野川の自然と触れ合える公園に整備されています。自動車道上下線の他、一般 道からも入ることができ、バンガローやログハウスなどの宿泊施設も利用できます。

(問)三好町産業経済課  TEL 0883-79-3111
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